シャーマニズムとアートセラピー



1970年代にアメリカで成立したアートセラピー、芸術療法というのは、絵画や音楽だけでなくダンス、楽器、文芸、詩、演劇、リラクゼーション、瞑想など幅広いジャンルを総括してアートセラピーと呼ばれてる。

目的は「心身の全体的健康の回復であり、それを通じて生き方が変わり、成長すること

マクニフの主著『芸術と心理療法』では、表現アートセラピーはシャーマニズムと多くの共通点があることを指摘している。


・夢の実演とその芸術的な表現に関わること
・参加者が円を形作ること
・プロセスそのものを重視し、「今、ここ」に焦点を置くこと
・癒し手の人間性、経験、技術、そして訓練が
癒しのプロセスにとって直接的影響を及ぼすこと

・構造にはっきりとした一貫性があること
・共同体同質性。精神分析など、言語的コミュニケーションを用いる伝統的心理療法はセラピストとクライアントの一対一で行われる場合が多い。
これに対して、表現アートセラピーは集団療法が中心。


 

シャーマンになることは「現世の時間や空間の制限を超えて、生命の根源的なプロセスに没入する、霊的なプロセスである」と。

シャーマニズムと表現セラピーの共通点の多くは、言語を主体とした伝統的な心理療法とも共通するらしい。

マクニフは古代において、シャーマニズムによる治療が機能した理由は、いわゆるプラシーボ効果によるものだと示唆してるが、

ただプラシーボ効果の有効性に照らしてみると、これらの見せかけの策略には強い治癒的な力があることがわかる。病気を具体的なメタファーによって癒す方法は、癌や他の病気の治療における視覚イメージぎほうの使用を通して現代医学の中で実際に地位を取り戻しつつある。



儀礼の参加者たちがこのような信念を共通していることが、プラシーボ効果をもたらし、心身の不調の改善を可能にしていた。

しかし、経験主義的な心理学と精神科医がこのような信念を破壊しシャーマニズムの力を失わせた。

現代社会にシャーマンの役割を復活させる表現アートセラピストは、この種の神話による指示が得られない環境で、うまく作業を行わねばならない。

芸術的な知覚様式によって、古代からの伝統と無限の新鮮さを併せ持つ世界とのつぬがりを、心の中に維持することができるのです。芸術を心理療法に用いることは、創造的な活動の最も深遠で霊的な領域にわたしたちを再び結びつけるのです。

古代のシャーマンが別次元の世界へと旅立ち、憑依された人の魂を取り戻したのと同じように、
今日の表現セラピストは、個人の失われた魂や社会の集合的な魂をさがしはじめた。

エレンベルガーの『無意識の発見』によると心理療法、とくに無意識の概念に基づく力動的心理療法はシャーマニズムとの「歴史的連続体」であり、さらにロマン主義やメスメリズムの影響を受けて現代の心理療法が登場したという。

古代の宗教を背景にした心理療法とは異なり、近代の心理療法は、個人を対象とし、個人の問題を考えるが、その際「個人のこころの仕組みやダイナミズムについて普遍的な法則」を見出し、それによって治療を行うとする。

近代的な心理療法は、かつての療法のように共同幻想を共有する集団のなかに、その一員としてるかえっていくことを狙いとするのではなく、
個人としてものごとを的確に判断し、自分の欲することを適切に達成していけるような人間になることが狙いになってくる。

古代のシャーマニズムの実践は実際に人々の様々な問題を解決していた。しかし近代化によって、シャーマニズムを支えていた共同体の働きと、その共同体における神話的世界観への信仰が失われてしまった。

近代の言語死体の心理療法と、マクニフのセラピーではこの認識は共通している。異なるのは、何が超越的進行の損失による空白を埋めるのかと言う点である。

言語中心の心理療法の場合、それは無意識や集合的無意識といった普遍的な人間の精神のシステムであった。一方的に風の場合、芸術がこの空白を埋め、霊的領域や神話的世界観の代わりに集団の中の原始的な衝動を蘇らせ、治療を可能にするのである。






マクニフのセラピーでは,芸術と芸術の多様性が,表現アートセラピーという新しいセラピーと古代の宗教的現象を結びつける根拠として使われている。

さらに,芸術は共同体の働きと神話的世界観の喪失を補完し,セラピーに力を蘇らせる。つまりマクニフにとって,芸術はシャーマニズムと表現アートセラピーの共通点であると同時に,シャーマニズムが失ったリアリティを取り戻すために必要な手段なのである。また,芸術療法におけるスピリチ
ュアリティは,患者個人の中に内在する危機的状況の中で時間や生きる意味をとらえ直そうとする機能を強める内在的なスピリチュアリティと,神や仏のような超越的存在が意識される外在的スピリチュアリティに分類することができる 。マクニフの場合,外在的スピリチュアリティはほぼ語られず,内在的スピリチュアリティに焦点が当たっている。






(なにが、超越的信仰の空白を埋めるか?🤔

結局のところ、それを代替できるのが芸術の役割なんじゃないのかって話なんだけど...


三島由紀夫が書いてたけど、日本人はそもそも空っぽ問題🫥民族的ななにかがありそうな気もするけど。ここがとても気になるんだよねえ)


コメント

人気の投稿