マティスの真珠






貝の体内に異物が入り込むと

細胞分裂を起こし真珠をつくる。

なかに入ってきた小石や寄生虫や砂粒などを
自分の殻成分で覆ってしまうらしい。あんなに綺麗で丸い光る粒がそんな風にできていたとは。ハスの花のように、泥から出でて、泥に染まらぬ高潔さも好きだが真珠も素敵だね。


ゲルニカで痛烈に戦争を批判したピカソのように、怒りや、悲しみ、絶望を感じている時に、それを体現するかのような、悲惨で気持ちの悪い表現をするのは自然なことだと思うんだけど、それでいうとピカソは同じ1941年に『血のソーセージのある静物』を描いていてね。ほとんど真っ暗といっていい室内にテーブルの上に気味の悪いソーセージがぐにゃりと渦を巻いて、大きな包丁がどん、とその横に置かれ、テーブルの開いた引き出しからは、ニョキニョキと凶器のようなフォークやナイフが飛び出ている絵。ピカソがどれほどムキになって戦争に争ったのかひと目で感じられる。
一方で、マティスは戦争の時や...闘病中のおそらく彼が人生でもっとも過酷な時を過ごしたであろう時も、描いたのはいつもと同じような、いや、いつも以上に明るく穏やかな絵だったという。それでピカソは、そんなマティスを化け物のように思ったんじゃないかって。 先生は、悲しみは描かない。 苦しみも、恐れも、重苦しい人間関係も、 きなくさい戦争も、ただれた社会も。 そんなものはなにひとつだって描かない。 ただ生きる喜びだけを描きたい。 この世の生きとし生けるもの、命あふれるものたちに恋して。自分の思い通りに、光があふれる世界だけを。
明るいからといって、朗らかだからといって、傷つかないわけではないのに。こんなマティスの態度は真珠のようだと思う。入ってきた異物をくるんで光らす。そんな光に私はとこしえの闇を感じる。 目に見えた堕落の安っぽさが嫌い。酒に溺れたり、女に溺れたり、ドラッグに溺れる。血や暴力。中学生でもゴリラでもできるようなありきたりなものは、ああ、しょうもな。という感じ。そんな子供騙しのチンケな堕落ではどうにもならない。救えやしないこともわかっている。レールモントフの詩の一節、「病める貝にのみ真珠は宿る」。病める貝の吐き出した美しい異物、それが真珠なら、私も真珠をめざしていきたい。闇があっても逃げない。見ないフリもせずに、それを真っ向から見つめ、向き合い、受容し、最後には取り込んでやるつもり。

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